2021-05-20 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第13号
これは責任がなければ罰しないというものですが、この責任があると、責任能力があるというためには、物事の善悪を判断する能力とその判断に従って行動する制御能力というのが能力と言われています。
これは責任がなければ罰しないというものですが、この責任があると、責任能力があるというためには、物事の善悪を判断する能力とその判断に従って行動する制御能力というのが能力と言われています。
未成熟な脳は、善悪を判断したり、怒りをコントロールしたり、恐怖を感じたりする能力に乏しい。現在は十八歳未満としている少年法の適用年齢を、逆に、まだ二十四歳ぐらいまでは発達するということで、真ん中辺に書いてあるんですが、二十一歳未満に引き上げる、そういう動きもあり、アメリカ・バーモント州ではそういう引上げがあったということです。
その善悪を私は今言っているのではなしに、病院側としては貴重なマンパワー、ウーマンパワーがなくなるわけですから、それに対する人的補償というんですか、人的サポートというものも考えていかなければならないと思います。そういった、機動的に動けるドクターであり看護師、そういうものを予備軍としてキープしておくということも非常に大事だと思います。
そのような現実、厳しい安全保障環境において、自国の安全保障のための抑止力、また拡大抑止、こういったものは、私は、善悪ではなくて、必要なものなんだと思います。
当時、規制改革イコール全て善というか、善悪でいう善ということで、大変規制改革がある意味ですごく進んだ。しかし、振り返りますと、やはり経済的な規制を改革するというのは、まあこれは基本的には誰でもいいことだと思われている、他方で、社会的な規制までこれを改革してしまってどうだったのかというやはり反省もあったというふうに思っております。
道徳教育で学ぶ内容には、善悪の判断、友情、信頼、相互理解、寛容、公正、公平、社会正義など虐待やいじめの防止に関わる様々なものが含まれておりまして、特別の教科道徳において、具体的な事例を基に多面的、多角的に考え議論することにより、いじめ等の防止に向けて考えを深めることが大変重要であると考えております。
今般、学習指導要領に基づいて行われることになりました特別の教科道徳においては、例えば善悪の判断ですとか規則の尊重などについて考え、議論をするということによって子供たちの道徳性を養うことを目標としており、文部科学省としては、引き続き、この道徳教育にしっかりと取り組む必要があると考えております。
善悪の基準が麻痺したような邪悪な経済政策は、直ちにやめるべきです。 以上、安倍内閣を信任しない、特に重要な五つの理由を挙げます。 ほかにもまだまだ理由はありますが、時間の関係で以上とし、安倍内閣には即刻退陣いただきたいということを申し上げまして、私の安倍内閣不信任決議案への賛成討論といたします。(拍手)
我が国が抱えている労働市場、雇用市場の問題が見えないまま、その制度だけの善悪で議論が進んできているというような私は気がして仕方がないんですね。 ですので、それぞれの国々で、その雇用の在り方、就職の在り方というのは違うわけです。
日本はアメリカを善とする余り、他の国は善悪に分けてしまう。相手方の見方というのか、そういう色分けでなく、やはり外交に勝利なしというバランスで、やっぱりお互いが膝を突き合わせて、相手の言い分、特に難しい国は、イスラムの世界は全くまた日本とは百八十度違うような考え方もあります。 そこで、各国のいろんな動きがありますが、日本も正念場です。今後どのようなことを考えているのか、お聞かせください。
内容というところで、主として自分自身に関すること、善悪の判断、自律、自由と責任、個性の伸長、希望と勇気、努力と強い意志と、こういったことが書かれております。具体的には、小学校一年生用の教科書については、発行される八社全ての教科書において、個人の尊厳に関連する教材が複数掲載をされておるところでございます。
多くの方は、犯罪というのは自分と関係ないというふうに思っているかもしれませんけれども、誰しも認知症になる可能性は否定できないわけであって、そうした場合に、善悪の判断が余りつかないままに犯罪を犯してしまうというようなケースもあるかと思います。これは、本人にとっても家族にとっても被害者の方にとっても非常に不幸なことだと思います。
ただ、規制緩和は善、強化は悪という単純な善悪二元論というわけではありません。国民の安全に関わる規制まで取り払うべきではないし、公平な競争のためのルール整備、規制の強化も必要な場面もあると考えます。 一方で、社会や経済の変化により時代に適合しなくなった規制や、安全を隠れみのにした競争制限的な規制は、聖域なき見直しを断行することが必要だろうと認識しております。
善悪の悪じゃなくて、知っているかどうかの悪意だと思いますけれどもね。だけど、差押えの場合はいいという。 じゃ、債権譲渡だって同じじゃないですか。差押えだって、差押通知が来たら、その時点で残っている預金が、銀行は別管理にするだけですから。
○宮本(徹)委員 いや、幼稚園児というのは、まあ皆さんも子育てしたからわかっていると思いますけれども、私の子供も今、下の子は保育園ですよ、はっきり言って、善悪の判断がやっと芽生える段階ですよね。そういう段階ですよ。皆さんも御存じだと思いますよ。もちろん安全保障政策の善悪なんてわかるはずがないんですよ。
ですので、当然これからしっかりと裁判が行われていくということでありますけれども、空想などを症状とする自己愛性パーソナリティー障害などによっての理性的な行動をとることが難しくなっていた可能性を示唆する意見というのもつけられていたとはいえ、やはり責任能力があるというふうに判断された、善悪の判断はできるというふうに精神鑑定の結果が出ているということであります。
○今井公述人 まず最初に、その善悪というものがないというお話で、私もそのとおりだと思います。
私は、その保護主義が悪とか、善悪で申し上げたことはないわけでございます。言わば、現在、世界経済が大きな下方リスクに直面する中で、これ、世界的に保護主義が台頭しているのは事実であります。これ、どこまでが保護主義でどこまでが保護主義でないか。我々が、では重要五品目守ったのは保護主義かといえば、決してそれは保護主義ではないわけでございます。
○長妻分科員 これもちょっと質問を曲解されているんですが、私は善悪の価値を判断するとは言っておりませんで、これを忠実に読んだわけでありますけれども、「よいことと悪いこととの区別をし、よいと思うことを進んで行う」と文科省の学習指導要領に書いてあるわけでありますから、そうすると、この日本人としての自覚を持って国を愛すというようなことは、一切、全くそれは念頭に置かずに成長の評価をするということでよろしいんですね
何でこれが先に進まないのかというふうに思うわけですが、では、一個ずつ聞いていくと、例えば、「善悪の判断」というのもあるわけですね。善悪の判断、よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行うというのもあるんですが、これも当然、個別にこれを見ないですけれども、大ぐくりの評価の中の一つの要素として、例えば、この部分が伸びていれば、それに成長として触れることもあり得るわけですよね、それは。
○松野国務大臣 今例示をいただいた善悪等々、何が善か何が悪かということに関しては、これはもちろん法的な問題はありますが、個人としての価値観において善悪というのはそれぞれにあるんだろうというふうに思います。ですから、一定の評価を持って、これを善と評価するから評価が上がるということではありません。
大人は、善悪の判断などの道徳的価値、母語である日本語の豊かな語彙や言葉遣い、我が国の国柄、基本的な計算力などを子供たちにしっかり教え込むことに決してちゅうちょしてはならないと思います。 また、主権者として、我が国を治めることの難しさから決して逃げることなく、考え抜き、判断したり選択したりする自覚と責任を持たせることの重要性も言うまでもありません。